各番組の上演予定時間
2015年 11月 26日
各番組の上演予定時間を知りたい方は こちら まで。
清元「色彩間苅豆」は 13時42分の予定です。
あくまで予定ですので、
お早めにお席におつきくださいませ。
よろしくお願い致します。
画像が荒くて見づらいかもしれません。
お許しのほど。
# by mam-ori | 2015-11-26 22:13 | 23-菊水会
2015年 11月 26日
# by mam-ori | 2015-11-26 22:13 | 23-菊水会
2015年 11月 25日
# by mam-ori | 2015-11-25 18:08 | 23-菊水会
2015年 11月 24日
# by mam-ori | 2015-11-24 20:17 | 23-菊水会
2015年 11月 22日
# by mam-ori | 2015-11-22 11:47 | 23-菊水会
2015年 11月 22日
「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」
通称「 かさね」は、清元の舞踊劇で、
初演は 1823(文政6)年 森田座。
鶴屋南北の作品
「松懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)」
の一場面として上演されました。
これは、祐天上人(ゆうてんしょうにん)が
累という女性の怨霊を成仏得脱させたという伝説を
歌舞伎化したものですが、
今日は この伝説について探ってみたいと思います。
そこで、このお話の筋書きを
改めて 整理してみることにします。
清元「かさね」では、
助と菊の娘が累で与右衛門は菊と密通した男。
そして 密通の事実を知った助は
与右衛門の手にかかり命を落としてしまいます。
数年後、当時 乳飲み子だった累は、
そうとは知らず 与右衛門と出会います。
恋仲となった二人、累は子を宿しました。
しかしながら、
助の怨念によりその姿が醜く変貌した累を
またも与右衛門が襲います。
そして累の魂魄(こんぱく)が、
逃げて行く与右衛門を引き戻し
清元「かさね」の物語は幕となります。
南北の作品としては 続きがありまして、
その後 与右衛門は花嫁を迎えます。
すると累の亡霊が花嫁にとりつき
与右衛門の母を殺してしまいますが、
祐天上人に諭され解脱して消え去ります。
そして、、、
と もう少し話は続くのですが、
今日のテーマには直接関係ないので
ここまでにして 話を戻しましょう。
作品としての筋書きは
今 お話ししたようなことですが、
伝説としては 少し異なっているようで、
「めぐろ観光まちづくり協会」のHPに
簡潔にまとめられていましたので、
ここに そのまま転記させて頂きます。
★ 累(かさね)物語 ★★★★★★★★★★
下総の羽生村に
累(かさね)という娘が住んでいました。
累は与右衛門という旅の男を婿に
迎えますが、財産だけが目当ての彼は
累を川に突き落として殺してしまいます。
その後、与右衛門は新しい妻をめとり、
菊という娘が生まれました。
ところが、累の怨霊が菊に乗り移り
狂乱してしまいます。
そこへ祐天上人が現れ、
一心不乱に念仏を唱えると、
さしもの累の怨霊も鎮まり、
菊はもとの娘に戻りました…。
この話は後に四代目鶴屋南北により
「累ケ淵」という歌舞伎となり、
三遊亭圓朝により「真景累ケ淵」として
世に広まりました。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
かさね伝説は、正に江戸の怪談の源流であり、
歌舞伎や浄瑠璃、講釈、小説、落語など
さまざまなジャンルに取り上げられたようです。
今年の菊水会関連記事、つまり このブログの
<カテゴリ 23-菊水会> の始まりは、
「祐天寺へ」という記事ですが、
祐天寺は 江戸中期に祐天上人が開山し
高弟の祐海上人が創建したお寺で、
東京都目黒区にあります。
ここには「かさね塚」なるものがあって、
舞台で かさね の芸能を演じる前には
参拝する習わしがあります。
かさね伝説あればこその習わしですね。
私も稽古に入る前に参拝してきました。
そして その時 受けてきた
お守りを身につけ稽古に励み、
迫り来る舞台にのぞみます。
こうしたことからも、
「かさね」は大曲 というだけではない
特別な緊張感のある舞台です。
累と共に舞台に立ち力を授けて貰えれば…
なんて言ったら、
お客さん、帰ってしまうでしょうかね (笑)
# by mam-ori | 2015-11-22 00:48 | 23-菊水会
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